小説志望系理系学士絵の備忘録(進化とかそういうお話も少しだけ)

小説志望系理系学生の備忘録

    もう8年も前の話、小説家を目指していた中学生は、「まあ? さすがに? 大学生ぐらいにはデビューできるやろww」みたいなクソほど淡い夢を見て、原稿用紙にミミズの這ったような文字で、厨二感満載の物語をかきつづっていた……。時折、分厚いライトノベル(某”境界線上”のやつ)をエレガントに読みながら(おっぱいだけ露骨に目をそむけていた。配点:純情)、仲間うちからは「あ、あいつの読んでる本すげええええ」と思われる快感に酔いしれ……いや、別に誰もそんなこと言ってなかったわ。ごめん嘘ついた。むしろニャル子さんの挿絵がエロすぎて、メチャクチャいじられて泣いてたわ。うん。

 

  まあ、そんな感じで私の中学生時代は、その年ごろにありがちな、”根拠のない全能感”と”羞恥心”に満ち溢れた、目も当てられないものであったのです。自分に対する共感性羞恥に名前をつけるのであれば、それはおそらく”黒歴史”というものになるのだろう。

 

  そして今。変に勉強だけできたから、地元の国立に合格して。生物学生としてさほど忙しくもない、けれど暇でもない中途半端な大学生活を貪る日々。……時折、小説を書いては、特に完成もしていない作品のくせに嫌気が差して、途中放棄を繰り返す。そんな毎日がずっと続くのだと、思っていました(主人公視点的場面展開のときのよく使われるやつ)。

 

 しかし私は、ある日、気がついてしまったのです。目を背けていたと言うか、何というか。いつの間にかすっかり頭から抜け落ちてしまったのですが……そう、中学生に豪語していたことを。

 

  

 

「……あれ、作家デビューできてね―じゃん」

 

  駄目だ。まずい。中学生の時自信満々に作家っぽいこと言ってたのに。卒業文集にまで書いたのに。どうにかして、大学生までにデビューできなければ。何故大学生にこだわるのかって? 理由は簡単。就職したくないからだよ。嫌だ、絶対に一般企業なんかで働きたくない。働いてもいいけどお金いっぱいほしい。お金いっぱいもられるならむしろ働かせてくださいお願いします。

 

  私はとても焦りました。焦って焦って、やったことのないブログなんてものに手を出して。一体どういう思考回路でしょうか。わかりません。こんなことTwitterにでも挙げとけやって思う方も多いでしょう自分でも思います。でも駄目なんです。Twitterは塾の生徒にアカウントバレしていて、下手なことを書けません。エッチぃ絵を”良いね”することもできないです。

 

  そこで、このブログの使い方を自分で定義してみましょう。こんな駄文で良いのならいくらでも書けますが、誰も訪れないだろう個人ブログに駄文を書き連ねるだけの人生なんてゴメンです。メモ帳の方が有意義です。メモ帳にプロット作成機能とかあればいいのになんでつけてくれないんだろうね。wordでテンプレートなら作ったけど、登場人物設定と場面設定と、それぞれ分けて映し出せる機能とかつけてくれないからすごい使いづらいんだけど。あ、また話がそれた。

 

  ブログの使い方です。定義です。その話がしたいのです。このままなら、ブログが適当なことを書き連ねるだけのチラ裏的扱いになってしまいそうです。なので、ちゃんとした使い方を自分の中で決めておきたいのです。私の好きな小説”笑わない数学者”でも書かれていました。「定義するものが、存在するものだ」と。間違えていたらごめんなさい。右手の届く範囲に該当作品がないので確認ができません。断じて足を使いたくはないです。

 

 さて、私がブログを始めるにあたって、書こうと思ったことは主に3つ。

 

  ひとーつ!  小説のこと。

  流石にタイトルにしたぐらいですからね、意地でも書いてやりますよ。作品自体はピクシブに上げたりしていたので、また気が向いたら紹介します。多分しません。このブログも、もしかしたらこれ一件書いてみて飽きてるかもです。その可能性がたーかいたかい。ついでに他界してみたい。

 

 ふたーつ! 生物のこと。

 まあ、大学でしっかりと習ったことですからね。自分が個人的に興味があること、研究室の愚痴、教授の愚痴、先輩の愚痴、近所に美味しいご飯がないことなど、ひたすら書き綴ってやりますよ。大丈夫、昔から人間観察が得意だったので、ことさら人のあら捜しには自信があります。嫌なことがあればすぐに書いてやります。あれ、これじゃあ生物のことじゃなくて、大学のこと、になっちゃうのかな。

 

 まあ、いい。

 

 みっつ! グダグダ文章!

 

 これが一番書きやすい。むしろこれしか書かないかもしれない。ホント、大好き。ひと目を気にせずに、文章を書き連ねるだけの場所。誰も見てないよね? ブログってものよく知らないけど、こういうのって大体年に1回でも閲覧されたら良いほうだよね? なんかお題とかを参考にしたら、アクセス稼げるとか言うけど、アクセス興味ないし。むしろこんな適当な文見られたらはーずいはずい。あ、でも生物学のこと語ろうとすると、アクセスされやすくなっちゃうのかな? 理系学生が実験レポのために調べるような語句も出てくるだろうし。どうしよう。ブログやめようかな。

 

 ……まあ、ブログを辞めるかどうかは明日の自分が決めることとして。

 

  今日はじゃあ、小説のこと! を題材に、ざっくりと自分が今どんな小説をかいているか、紹介しましょうかね。書き終わるかは知らん。むしろ設定だけ挙げるから、誰か書いてほしいまである。

 

 書こうとしている小説をざっくりいいますと、非常に未来の世界です。すっげえ未来。スター・ウォーズとかサマーウォーズとか、そういう戦争が起きてそうな未来。サマーウォーズは違うか。

 

  その未来では、人間は2つの進化の可能性によって、進むべき道を分かたれてしまいます。その2つの可能性とは、機械進化とバイオ進化。どちらも技術進化と呼ばれるもので、今世界で進んでいるのは機械進化の方ですね。機械製造の技術というものは二次関数的に発展していくものだと言われていますが、そろそろAI技術もそろそろ転換点を迎えることでしょう。転換点とはつまり、AIがAIを生み出す時代が来る。ということ。2045年問題とか、昔、話題になりましたよね。あれです。生物の定義を”自己複製をおこなう” ”進化をする”の2つだと、非常にざっくりと決めてみますと、AIがAIを生み出し、進化をおこなうようになった段階で、もうAIを生物と認識して良いような気がします。というか、そのように認識しても差し支えないかと。もっと知りたい方は、AIと生物について、それぞれググってください。進化学の本がわかりやすいかな?

 

  AIがAIを生み出して、どんどん機械が生物に近づいていくとどうなるか。私は人と機械の融合が研究され始めるのではないかと考えます。今でもペースメーカーだの人工透析だの、機械で置き換えれる場所については治療に用いられてますしね。難しいのは循環器系と呼吸器系ぐらいじゃないかな? それ以外は機械に置き換えてしまったほうが安定した生活がおくれるように成ることでしょう。ヒトの意識だって、機械に置き換えてしまったほうが楽かもしれません。そんなことを願って、機械進化を進めていったのが、今回の小説では敵陣営と成る”中枢国”側です。名前なんて適当です。あとで変えることでしょう。小説のセッテイづくりなんてライブ感が全てなんだから。

 

  対して、主人公がいるのは、バイオ進化を求める側。こちらは生物の複雑性を損なわないことを軸に、遺伝子改変によって、進化を強引に勧めてしまおう、という団体が主軸になっております。良好な形質を生み出す遺伝子が見つかった場合には、遺伝子ドライブの技術を用いて強引に集団内に拡散させてしまおうとか、優秀な遺伝子を持つ系統は血統管理を目的に工場などで交配させ、子供にも同様に血統書をつけて売り払おうだとか、そういう狂った団体です。こっちのほうが余程敵っぽいんじゃないかな。ほぼサイコパスじゃん。でも、最終的に生き残りそうなのはこちら側なので、主人公もコッチ側にすることにしました。

 

  何故、機械進化は生き残れず、バイオ進化は生き残るのか。

 

  そもそも進化が何なのかっていう定義にもよりますが、進化とは私の認識で言いますと、”環境に認められた多様性”であると考えています。遺伝子って結構脆いんで、すぐにダメージを受けて壊れてしまいます。だから生物は、後世に受け継ぐ遺伝子を持つ細胞(生殖細胞)は、出来る限り身体の中に大切にしまっておいて、後世に受け継ぐ必要のない細胞(体細胞)で守ろうとしたりしてるんですけどね。そういった遺伝子を守ろうとする仕組みは面白いですよ。「生物は遺伝子の乗り物である」とはよく言ったものです。

 

  なら、進化とは? それはもともと、遺伝子に起こってしまった変異です。それも、後世に受け継がれるはずの生殖細胞に起こってしまったもの。それらは大半が体に影響を及ぼさない変異(中立的な変異)で、残りの殆どが”環境を生き抜く上で不利な変異”になります。そりゃ、今の遺伝子は、今の環境に適した形に変わってきたんですから。緻密な情報を一つでも書き換えてしまえば、その影響は計り知れません。不利な遺伝子を持ってしまった子供は、まもなく相応しい不利にさらされることでしょう。

 

  しかし稀に、環境に許された変異というものもあります。高校生物でも乗るような簡単な内容なら、鎌状赤血球貧血症の話とか有名ですね。本来は貧血を起こしやすく成る変異が、たまたま病気を媒介する蚊に抵抗する手段となったため、生き残った。通常の環境では不利になる特性が、蚊という敵が存在する環境下では、特異的に許された。

 

  こうした”めっさ運がよかったから生き残っちゃった!!”みたいな変異が、世の中にはクソほど溢れています。というか40億年前ぐらいに始まったDNAという自己複製子の営みは、ほとんどこんな適当な理屈を繰り返すことで、今みたいな凄まじいまでの生物種に反映してきました。赤の女王仮説などを盛り込むと、もう少し体系的な説明が出来るのですが、そこまではいいでしょう。誰も見ないだろうし。赤の女王仮説。この言葉でワクワクするのは、不思議の国のアリスが大好きな潜在的厨二病か、進化学を学んできた一端の学生ぐらいです。

 

 さて、話の主軸に戻りますと、何故機械進化が負けて、バイオ進化が勝つのか。それは簡単に言うと、機械進化は斉一性が優れているから、バイオ進化は多様性が優れているから、です。機械進化をざっくりと説明すると、機械の力を借りて生物の機能を高めちゃおうという感じですが、その技術は無論、安定的に再現できるものに限られます。幅が狭いんですよね。進化先の。対してバイオ進化は、遺伝子という素晴らしくランダム性の高い構造体の機能を、最大限活かそうとするものです。扱う土壌が違う以上は、上記のような違いが出ることも仕方がないでしょう。

 

  そんな程度まで考えてみて。

 

  じゃあ、こうした違いをどのように物語に仕上げるのかが、今後の課題になるわけですが……ヘーイ、ワタシ、セッテイ厨……考えたら考えただけ安心して、執筆をやめてしまう低能。

 

 また、この話に進展が出ましたら、少しだけブログを書いてみようかな―って思ってみたり。

 

それでは、ここまで長々と、ありがとうございました。最後まで読んだヒトなんて一人も居ないと思うけど、もし読んだヒトが居たら言ってください。ご褒美あげます。ペペロンチーノぐらいなら作ってあげます。

 

それでは、ばーい。

 

【今回の一言】 クラウドソーシングって美味しいの?